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2009年08月30日

8月のラストサンデー

8月の最後の日曜日!
朝一番で投票に出かけた私は
ロータリーの仕事と
同窓会の仕事をダブルでこなす!

先日の大阪の領木先生の
「歯医者は、遊びも大切!」の
言葉が、頭の中で木霊する!

私は今年の夏休みも、海にすら行けなかった!

仕事に追われて10年以上、私は家族と
海にすら遊びに行っていない!

20年前、牛窓のビーチで
カタマランを毎週のように操縦していた
あの時代は2度と戻らない!!

今日は同窓会の会長として、大切な仕事があった。

岡山大学歯学部の前身である岡山大学医学部
歯科学教室の開講60周年記念式典が開催されたのだ。

数日前に同窓会の事務局から、当日の挨拶をお願いしますと
連絡を受けた私は、自分としては珍しく
数日間、当日何を話すか?原稿作りに専念した。


そして原稿が出来た!


「只今ご紹介にあずかりました、岡山大学歯学部同窓会の
会長をしております中野浩輔と申します。

会場におられる多くの先輩方を前に、私のような若輩者が
ご挨拶をさせて頂くのは、とても心苦しいのですが、
ご指名でございますので失礼いたします。


岡山大学医学部歯科学教室開講60周年、本当におめでとうございます。


私たち岡山大学歯学部卒業生からすれば、この岡山大学医学部歯科学教室が
私達、岡山大学歯学部の前身になっていることは間違いなく、
岡山大学歯学部同窓会を代表して、この場にいらっしゃる
全ての皆さんにお礼を申し上げます。

このような折角の機会ですから、この場をお借りして
現在の岡山大学歯学部卒業生の現状をお話しします。


現在、岡山大学歯学部を卒業したものは約1500名。

日本では、北は北海道から南は沖縄まではもちろん
海外でも現在では多くの卒業生が歯科医師として
臨床や研究に活躍しています。

全国で、歯学部、歯科大学、医学部の教授になっているものが9名
准教授になっているものが8名います。

特に最近では研究面でも学会で多くの卒業生が発表したり
多くの論文も学会誌に掲載されるようになっています。

。。。。。。。。

。。。。。。。。

。。。。。。。。

今後とも少しでも国民の皆さんの歯の健康へ貢献できるように
一層の努力をしたいと思っております。

今後とも、ご指導、ご鞭撻を、何とぞよろしくお願いします。

教室関係者の皆さん、本日は本当におめでとうございます。」


この原稿は、あくまで簡単な雛型であって、当日の他の来賓の方々の
挨拶を盛り込んで、直前に完成させようと思っていた。


当日会場に早めに到着して、式次第を見て驚いた。

記念式典の4番目に私の挨拶があった。

私の前の祝辞は、日本の医療界で移植の権威を言えばこの先生!!

日本の医療の世界を代表する移植の重鎮であるこの先生。


挨拶文にも入れたのだが、私のような40代の若輩者が
このタイミングで挨拶を行って果たしていいものだろうか?


同窓会の仕事は、私のメンタルをかなり鍛えてくれる!!

それに加えて、さすがに60周年の記念式典!
参加される方々の顔ぶれが凄かった。

数名の政治家の姿も、地元の新聞社社長の姿も、
全国の医学部、歯学部の名誉教授の姿もあった。


この場に1500名を代表していられるのは
あり意味凄いことであり、名誉なことであるのだが
本当に本当に、今日で、私の夏休みは全て終わった!!

来年こそは、10年ぶりに牛窓の海を満喫したい!!

投稿者 nakano : 21:19 | コメント (0)

2009年08月28日

大阪で!

お昼休みも、診療後も
複数の人たちとの打ち合わせで
集日バタバタする。

バタバタ、バタバタする。

私に出来ることは何かを常に
考えて一生懸命世の中に貢献したい!!


昨日の木曜日、私は新幹線とJRを乗り継いで
東大阪市にある「りょうき歯科クリニック」の見学に
お邪魔した。

患者数が多いとは聞いていたのだが、まずは駅から遠い
立地に驚いた。

大阪で駅から徒歩10分以上とは立地が良いとは言えない。
(岡山の田舎の当院は、もよりの駅から徒歩30分はかかる!)

また診療室の表の看板を見ると、1年で休診日は1月1日の元旦のみ、
後は、日曜日も祭日も診療、それも診療時間は
平日は夜10時までとかなり長い!(昼休みもない!)

患者さんにとっては、日曜日も、夜遅い時間でも
歯科で見てもらえるのはありがたいことだと思うが
スタッフのシフトが大変そうだと少し心配する。

開院して17年目で、診療室のユニット(治療椅子)の台数は11台。
3部屋が完全な個室になっていた。
(この規模は当院とほとんど同じ!)

診療室のいたるところに、スタッフ向けの掲示物が
読みやすく貼られていて、マニュアルがきちんと
整備されていることを実感する。

女性のスタッフは皆さん、笑顔で元気!
大阪の土地柄か気さくな女性が多い。
反面、まじめそうな男性歯科医師スタッフのナイ−ブな
笑顔が印象的だった。

一番驚いたのは、理事長室で特別に見せて頂いた医院のマニュアルの一部。

領木先生が医院運営のために一番力を入れられている、
歯科医院で働くスタッフの教育と評価、
そのためにはマニュアルは欠かせない!

しかしそのマニュアルが詳しいこと!ここまでまとめるかと
驚くほどの精度、驚くほどの量のマニュアルに素直に驚く。

また、マニュアルがあってもそれを使うのは生身の人間。

領木先生がスタッフに声をかける時の厳しさの中に
スタッフへの関心と愛情を感じて、スタッフが生き生きと
働く一番のコツは、理事長の人間力であり、スタッフへの
関心と愛情であると実感する。
(私にはここが一番欠ける!人間力が足らない!!)


本当に素晴らしい時間を過ごす。

岡山で「りょうき歯科」に負けないように
愛情溢れる、活気が溢れる歯科医院を
必ず作るように私も一生懸命努力したい!!


領木先生との約束の時間まで、大阪で時間が少しあったので
天満駅の周辺で、飛び込みでマッサージの店に行く!

天満の駅周辺の雑多な雑居ビル!他の店舗は怪しげな店ばかり!
その怪しげな雑居ビルのマッサージ店は5階!

まあ、昼間だから変なことにはならないだろうと
高をくくっていた私だが、最初のお問い合わせの紙に
「当店は風俗店ではありません!」と大きく書かれている
事実に少し恐れを抱く!!

昼間の時間帯だが、お客は誰一人いない!
エレベーターが開くとそこは既にお店なので
帰るに帰るわけにもいかない。

マッサージ担当「エリーナ」と書かれている事実に恐怖も
最高に達する!!

「エリーナ」さんが私の前に現れる。

プエルトルコ人で巨漢の、マツコデラックスのような
「エレーナ」さん!

ただ体重をかけるだけのマッサージがそれから60分間続いた!!

大阪はやっぱり怖い!!!

投稿者 nakano : 22:58 | コメント (0)

2009年08月26日

中村文昭氏

第2部は、 クロフネカンパニーの中村文昭さんの話だった。
しかし、ここで大きな問題が起きた。

12時に会場入りする予定の中村さんが12時になっても
12時10分になっても来られない!マネージャーの方から
電話が入り、間違って東京国際フォーラムに行かれたらしい!

予定より20分遅れで中村さんが控室に到着!

「今日の話のテーマは何でしたかね?」の中村さんの一言に
若干の不安を覚える!

お弁当を食べながら、第3部の対談の打ち合わせをするも
大嶋さんも中村さんも旧知の仲なので、
「うん!大丈夫よ!!」とほとんど打ち合わせにならない。

かなりの不安を覚える。

私が中村さんにお願いしたのは「心にしみる顧客満足」

中村さんは18歳の時に、三重から東京に出てきて
縁あって田端さんと言う野菜の行商の方に弟子入りする。

その田端さんの教えがある意味で、顧客満足の全てと言われる。

「金の入口より出口が大切!」

稼いだお金をどう使うかが、人間の価値を決める。
自分のために、利己的に物欲で全て使うのか?
それとも、地球や恵まれない人や、他の人のために少しでも
お金を使うのか?

「人間の悩みの大半は、他人との比較!」

他人の子供と比較して、うちの子は勉強が出来ない。
他人と比較して、お金が無い。
他人と比較して。。。。

行商時代の一番大きな教えはこの4つに集約されると言う

1、返事は0,2秒
2、頼まれごとは試されごと
3、出来ない理由を言うな!
4、今出来ることをしろ!

誰かに何かを言われたら、損得を考えるから返事が遅くなる。
返事は必ず0,2秒、私はあなたに「No」はありません。
「Yes」か「はい」しかありません。

頼まれごとをされると、それは自分が試されているので
相手の予測を上回る結果を出すように心がけること

いい訳や出来ない理由を言っても何も変わらない
今出来ることは何かを考えて、すぐに行動に移すこと!

仕事で最高の結果を出すためには、目の前の人が自分の最愛の人と
思いこんで、いつも対応すること。

「夢」や、「目標」なんて無くてもいい
目の前の相手を喜ばせるようにだけ考えて、行動すれば
道は開ける。

経営者がもの凄い深い思いを持つことが大切と言われた。

「なぜ私たちは、歯科医師の仕事をしているのだろうか?」

「歯科医師の仕事を何のためにしているのだろうか?」

最後は「人間力が大切!」と大嶋さんと同じ話をされ、
今北海道で「耕せ!日本!!」と頑張っている、ニートや
引きこもりの人が行っている農業支援の話をされた。

10分の休憩の後で、いよいよ第3部のスペシャル対談になった。

当初は対談は60分の時間を予定していた。

しかし、大嶋さんの話が20分、中村さんの話が10分伸びたために
対談の時間は30分しか取れなくなってしまい
私は大幅に対談の進め方を変更した。

椅子に座ると、参加された方から私たちの顔が見えないだろうと
私たち3名は立って対談を行った。

本気の朝礼から、居酒屋甲子園の話、先生見本市の話など
まだまだ聞きたい事は、山ほどあり、進行表を完璧に作っていた
私だが、何せ時間が足りない!

継ぎはぎだらけの、まとまりのない対談になったことを
反省している。

「全くまとまっていなかった!あれじゃーね!!
参加された先生が首を捻っていたよ!」と言われて
私も大嶋さんじゃないが、凄く落ち込んだ。

まあ、多くの方の力を借りて、協力を仰いで
何とか長丁場の1日の特別講演会が大きな
トラブルもなく、終了したことは感謝するしかない!!

投稿者 nakano : 22:09 | コメント (0)

2009年08月25日

大嶋啓介氏

最近、遠方から
インプラント治療を希望されて
当院に来院される方が増えている。

しかし、多くの場合、治療計画で私は頭を抱える!

そのような方は、掛かり付けの歯科医院で
インプラントは出来ないと言われた人ばかりだ!

骨が無い方でも、今では骨補填剤を移植すれば
ほとんどのケースで、インプラント治療は可能である!

しかし、しかし、難しい症例は、
誰が行っても本当に難しい!!

日曜日の午前中、私たちは、居酒屋てっぺんの大嶋啓介さんの
「こうすれば人は輝く!」と言うタイトルで2時間お話しを伺った。

実は、私は、CDで大嶋さんの講演は聞いたことはあったのだが
対面で講演を聞くのは初めてだった。


あの自信に溢れていて、いつも笑顔が絶えない大嶋さんの、
今までの人生の経過を聞いて私は驚いた。

彼のような人は、小学校の頃から、クラスの人気者で
スポーツ万能、男性からも女性からも好かれていて
天が二物も三物も与えた才能にあふれる人間だと思っていた。

しかし、実は違っていた。

彼は、野球を本気でしていたが、肩を壊して、
野球の道をあきらめて、少しぐれた。

大学卒業後、営業マンとして勤務した会社を1年で懲戒解雇!

その後も、2回、大きな鬱病を経験!!

営業の道から、飲食の道に入り、店長を務めるも
スタッフからもお客さんからもダメ出しを受けるくらい
ダメな店長だった。

そんな大嶋さんが劇的に自分の人生を変えたのは
半ば強引に参加させらた日本創造教育研究所の
3日間のセミナーだった。


自分が話す言葉の重要さや、自分が出来ないと思い込んでいるから
出来ない事実を理解して、そこで初めて自分の可能性に気づいたと、
言われる。

「言葉が変われば人生が変わる!」

そこからは、能力開発、人間の能力の引き出し方について
徹底的に学ぶため、ほとんどの給料をセミナーに投資!

西田文郎先生と、福島正伸先生と、日本創造教育研究所の
講師の松崎?さん3人が、自分の一生の師であると話された。


あの大嶋さんが鬱?スーパーネガティブ?
とてもそうには見えない!

しかし、お昼休みの時間にも、中村さんから
「大嶋はすぐ落ち込むからな!」とからかわれるくらい
本当の大嶋啓介は、傷つきやすく、繊細で
落ち込みやすい人間だった。

最初は、おそらく元気がよくて、自信があるふりをしている
だけだったように思う。

それを継続することで、自分自身が大きく変化していったのだ。

「出来ないんじゃない!」

過去の経験から未来もうまく行かないと
思いこんでいる自分があるだけなのだ。


「こんな中途半端な時期に、歯科医師を探しても
素晴らしい歯科医師が見つかる訳がない!!」

「岡山の田舎者の歯医者が、どんなに自分をPRしても
東京のキ−局の番組に出られる訳が無い!!」

「ここは場所が悪いから、どんなに頑張っても
沢山の患者さんが来る訳が無い!!」

それは自分が最初から出来ないと思い込んでいるから
その出来ないという思いが現実になり、出来なくなっているだけなのだ。

「思考は現実化する!」

確かに過去はうまく行かなかった事実があるだろうが
それは過去であって、未来ではない!!

どんなに成功の可能性は低くても、実際に行動を
起こさなければ、絶対に成功はしない!

女性と仲良くしたいなら、こちらから声を掛けなければ
絶対うまく行くはずが無いのだ。

今まで何度も声をかけても全部失敗したとはいえ
それはあくまで過去の話!未来は誰にもわからない。

自分では十分理解していたつもりだが、既に常識に
捕われ過ぎていて忘れていた最も大切なことを、
私は大嶋さんの話から思い出すことが出来た。

この話を聞くだけで、今回、大嶋さんをお呼びした甲斐があった。

大嶋さんが、皆さんに配って下さいと言われた資料の中に
1枚の幕末の志士の写真があった。

坂本竜馬も、勝海舟も、西郷隆盛も、伊藤博文も、多くの幕末に
活躍した志士が1枚の写真に出ていた。

私はこの写真を、渋谷のてっぺんのセミナールームで見たことがある。

今の日本も幕末かもしれない!

大嶋さんは今の日本で、日本の居酒屋を
元気にしたいと本気で頑張っている。

私も自分なりに頑張って、
今の日本の歯科を元気にしたい!!

投稿者 nakano : 22:48 | コメント (0)

2009年08月24日

先週の土曜日
私はA歯科医師ご夫妻と
東京で夕食を共にした。

A先生の奥さまも、歯科医師であるが
奥さまのお父様も、また歯科医師である。

私は結婚してすぐの時(20年近く前)
A先生のお父様に、とてもお世話に
なったことがある。

都内の診療室を見学させてもらった上に、
東京全日空ホテルの最上階の鉄板焼のレストランで、
夫婦でご馳走になったことがある。

あの時のことは今でも鮮明に覚えている。


医師や歯科医師になると、すぐに給料が
もらえると思ったら大間違いだ!

その当時の私は、大学病院に勤務していたのだが
週に1度行くアルバイトで生計を立てていた。

妻には当時、お金の面では苦労をかけたと思う。

東京に行った回数もその時は、わずか数回
単なる貧乏の田舎者の歯医者の私は、
産まれて初めて入った鉄板焼のレストランの
バカ高い料金表を見て、目を向いた!

セットメニューが当時1人前2万円近くした
(と記憶している!)

私たち夫婦は、東京の夜景のキレイな席で
乾杯の1杯のビールで真っ赤になりながらも
極上のお肉に舌づつみを打った。

本当に、本当に、美味しかった!

東京の何もかもが凄いと驚いた。


産まれてから当時27年間、岡山から
県外に出たことすらない岡山しか知らない私は
まさにカルチャーショックを受けた。


あれから20年が経過した。

A歯科医師ご夫妻とは、1年ほど前にも
食事をご一緒した。

その時は、東京の超有名私立高校出身のA先生に
予約がなかなか取れないと言われている
あるレストランに連れて行ってもらった。

今度は、私がお返しする番だ。


ずーっと東京育ちのA歯科医師ご夫妻と
食事をする店を、私は延々と探していた。

そして、ミシュラン東京で星が付いている
あるホテルに入っているフレンチのレストランを
予約した。

私たち夫婦は、基本的にフレンチは
岡山の「ルメナージュ」のフレンチ以外は
美味しいとは思えないのだが、
A歯科医師ご夫妻は長身の美男美女のカップルなので
フレンチがお似合いと思った。

料理はセットメニューなので、あらかじめ
電話で頼んでおいた。

フレンチのレストランは、天井が高く重厚な作りで
東京の夜景がとても美しかった。

お客様は予想以上に多く、繁盛していた。
それも意外に若いカップルが多いことに私は驚いた。


食前のお飲み物をと、ウェイターの方がリストを
持って私の元にやってきた。

「只今、このシャンパンのキャンペーンを行っています!」
と言われたメニューの一番下には、
○○シャンパンロゼ ボトル1本9万円と書かれていた。

きゅ、きゅ、きゅ、キュー万円???

「つ、つ、つ、妻が、シャンパンが飲めないもので!」
と咄嗟に私は嘘を付いた。

それならと、次にワインリストをお持ちになった。

ワインリストの最初のページには
フランスの見たことがないような値段のワインが
ずらっと並んでいた!

「今、ニュージ−ランドのワインに凝っているので!」
と私は、またもや嘘を付いた。

美男美女の歯科医師ご夫婦とフレンチを食べながら
私たちは私が選んだ、ニュージーランドのワインを飲んだ。

1本が2万円近いワインは、私には
あまり美味しく感じられなかった。

やはり背伸びはいけない!

日曜日の講演会の打ち上げで食べた
焼き鳥は、すごくうまかった。

投稿者 nakano : 21:22 | コメント (0)

2009年08月09日

ボーリング大会

なかの歯科ボーリング大会

東京からの帰りの飛行機が
かなり揺れる!
気分を悪くした私は、空港から
タクシーで自宅に戻り、
そのままベッドで横になる。

横に座られたご夫婦が機内で
食べられたお弁当の匂いもかなりきたし、
今朝から左サイドの腰痛が私はひどい!

土曜日のあの張り切り過ぎが、まずかったか?


土曜日は、なかの歯科初のボーリング大会を開催した。

スタッフと共に体を動かしたり、スポーツをすることは
医院の一致団結感を強めると私は信じている。

初めは、「なかの歯科大運動会をしたい!」
とスタッフに提言した。

私が岡山大学歯学部に入学した1年目の時に(28年前?)
医学部と歯学部との合同の運動会が行われた。

医学部と歯学部と看護学校?の対抗戦で開催された
鹿田地区大運動会は大盛り上がりを示して
その当時18歳だった私はリレー等で活躍したためか?
最優秀選手に選ばれた記憶がある。

しかし、私の思いは、普通の歯科医院より、少しだけ
スタッフの平均年齢が高い当院では、すぐに却下された。

それでは誰でも楽しめるボーリング大会をしようと
土曜日の診療後、私たちはあるボーリング場に集合した。

私が子供のころ、第1次ボーリングブームが来て
中山律子プロなどは、私たちの憧れの存在だった。

しかし、ゴルフと同じで、自分のメンタル面が
スコアに直接影響するボーリングを気の弱い私が
得意な訳もなく、当院のH先生と同じく
私の平均のスコアは100にも届かない!

そして、そのスコアは私の子供が小さかった
10年以上前のスコアだった。

ここは笑いを取ろう!

そう思った私は自分の数少ない服装の中から
一番プロボーラーに見える服を着て
愛用する自転車の指先のない手袋を両手にはめた。

凄く上手そうな格好をしていながら、実は凄く下手!

このギャップが笑いの原点!!とほくそ笑んでいた。

集まったボーリング場でスタッフの私に対する視線は
予想以上のものだった!

「院長どうしたんですか?
プロボーラーみたいな恰好をして!!」


しかし、そこには私が予期できない出来事が
待ち構えていた。

私たちのレーンの横に、5名の女性の団体の方がいて、
1名の女性とすぐに私の目があった。

「あっ!こんにちは。」私は自然に会釈をした。
そして、横の方にも、またその横の方にも会釈をした。

たまたま皆さん当院の患者さまの女性グループだった!

「いや、凄いこっちを見てるわ!」

いきなりこの恰好が凄く恥ずかしくなってきた。


「院長、始球式をお願いします!」

ここで笑いを取るべきか?それともマジで投げるべきか?

スタッフの前では馬鹿になりきれる私も
若い女性の患者さまの前では、笑いを取ることが
どうしてもできなくて、大真面目に一投目から
センターピン!ストライク狙いでいった。


そして、私の一投目は見事に
ガーターレーーンに吸い込まれていった。

投稿者 nakano : 20:30 | コメント (0)

2009年08月08日

成功とは?

人生における成功って何?

私は成功と言う言葉が余り好きではない!

その分野の成功者と聞くと、なぜか少しだけ
虫唾が走る。

これだけ変化のスピードが激しい現代においては、
例え、今をときめく成功者と言われても
次の瞬間ダークサイドに落ちて行った人たちの
名前を誰でも何名も挙げられるのではないか?

東大を出て、死ぬほど頑張っても
ボタンの掛け違い?で、ダークサイドに陥る場合もある。


私の財布には、1枚のカードが入っている。
そのカードには「成功」と言う言葉が漢字で書かれている。

お前、言っていることが違うではないか?

そんな言葉が聞こえてきそうだが
その「成功」の文字の下にはサクセスとは
書かれていなく、プロスペリティと英語で
書かれている。

私はそのカードをハワイのあるお店で購入した。


プロスペリティとは繁栄と言う意味!

ローマ帝国の繁栄!あの繁栄だ!!

繁栄とは、その周りの人や物が凄く輝いて
イキイキしているイメージを私は持っている。


私は自分の周りを繁栄させたい。


私の友人に、太陽のような人がいる。

太陽系全体で、太陽が占める重量の割合は
本当かどうか知らないが、90%以上と
その友人から聞いた。

自ら燃え続け、周りを照らし続ける
太陽のような存在!


そんな歯医者、いやそんな人間になることができたら
本当にかっこいい!!


私にとって人生の成功とは?

「常に立ち止まらないで成長し続けて
自分の目標を着実に達成すること!!」

「自分の周りの人のお役に立ち、周りの人を
笑顔にすること!!」

やはり明確で大きな目標を立てることから
今日も始めよう!!


投稿者 nakano : 08:06 | コメント (0)

ピンチはピンチ?

のりぴ−に逮捕状!
押尾学と矢田亜希子が離婚!!

釈然としない思いを感じながら
芸能界は浮き沈みが激しい世界だから
色々な事情があるのだとは思うが
残念としか言いようがない!!


先日ある証券会社の方と話をしていて感じた事は
人にはそれぞれの人生があり、うまく行くときもあれば、
何をしてもうまく行かないときもある。

私の46年間の人生を振り返っても、
24歳までの人生の前半はすこぶる順調だった私は
25歳からの後半部分で、数多くの失敗を繰り返してきた。

お金の失敗だったり!人間関係の失敗だったり!!
女性関係?の失敗だったり!!!

「これはもうどう転んでもアウト!」
「人生終わったな!!」

人生そのものを諦めようという程の大きな失敗も、
1度ならず2度まで経験している。


どうしようもない辛い現実に、何度も涙したこともある。

まっすぐに続く長い廊下で見たある景色に
悲しくて、辛くて、絶望して、涙が止まらなかった
こともある。


その時、私が見た景色は今でも網膜に焼き付いて
離れない!!

でも涙が出ることは、まだそんなに状況は
ひどくない!!

ピンチと呼べるほど軽い事柄でなくて
絶望と呼べばいいのか?この無茶苦茶な壁を
なぜ私だけが超え無ければいけないのか?と
自分の運命を呪ったこと何度もある。

自分が死んでしまえばどれだけ楽だろうと
考えたことも何度もある。

でもそれを含めて、全てが自分の人生である。

私の人生は、大学を卒業するまでの24歳までは
ある程度全てが順調に回った。

小学校、中学校、高校時代、うまく立ち回る要領の良い私は、
ひどい「いじめ」に会うこともなく、勉強は順調に進み、
自分の志望校に高校も大学もある意味で
そんなに努力をしないで、要領のよさだけで合格した。

大学時代も優秀な友人に恵まれて、試験もいつもギリギリだが
赤点は取らないで、国家試験まで無事に進んだ。

そして、私は自分の目標通り、卒業して
わずか5年間で自分の歯科医院を開業した。


さすがに開業した1年目は立地の面もあり
大きな苦労をしたが、2年目からは順調に歯科医院も
発展して、順風満帆と周りから言われていた。


そんな時にある大きな失敗が起こった。

病気、怪我、事故、大きな問題が私の周りを席巻した。


自己啓発系に言えば、

「ピンチはチャンスである。」

「自分が源泉!」

「自分がまいた種は自分に必ず戻ってくる!」

「前世での自分の行いが、今の時代に
形になって現れてくる!」

祈っても、恨んでも、感謝しても、行動しても
変わらない辛い現実がそこにはあった。


「チャンスは予期せぬ形でやってくる!」
「ピンチはチャンス!!」

そんな風にいつも事実を前向きに捕えることが
できればいいが、やっぱりピンチはピンチ!!

人間の幸せって何だろう?

私を産んでくれた私の母親の人生は
本当に幸せと言えるのか?

私と結婚した私の妻の人生は
本当に幸せと言えるのか?

ちっぽけな自分がここにいる。


投稿者 nakano : 01:07 | コメント (0)