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2008年01月29日

ハンドボール

患者様からお礼のメールが届く!
歯が折れたときの救急の当院の
スタッフの対応が良かったと言われる。

こんなお礼のメールは私も含めてスタッフ一同の
仕事の励みになるので全てのスタッフに伝える。

人に喜んでもらえる仕事が出来る私達は本当に幸せだ。
間違っても人を不幸にするような仕事を私達はしてはいけない!!


今オリンピック予選のやり直しで、にわかに降って沸いたような
ハンドボ−ル人気!

今まではサッカーやバスケと比較して「日影のスポーツ」と
呼ばれていたハンドボールがこう言った形で日の目を見るとは
誰が予想したであろうか?

あの宮崎県知事もハンド経験者であることが判明!
そうよね!もう言ってもいいのよね!!

実は私もハンドボール経験者である。
岡山大安寺高校時代3年間ハンドボール部に所属した。

私は小学校の時に、サッカーを少しかじっていた。
そして中学に入るとサッカー部に入ることが夢だった。

しかし私が通った石井中学校はグラウンドが狭いので私が学生時代
サッカー部は存在しなかった。
サッカーを共に目指した友人がバレー部に入るのを横目に見ながら
私は身長が低かったので陸上部に入った。

高校に入る、私と友人の森本はサッカー部に入ろうの合言葉と共に
運動部の部室の一番奥にあったサッカー部の部室に向かった。

サッカー部の部室の少し前にハンドボール部の部室があった。
そのハンドボール部の部室の前で私と森本は一人の3年生の先輩に呼び止められた。

その先輩の髪型はリーゼントで少し怖いお顔をされていた。
私と森本は自動販売機の前に連れて行かれて
「何でも好きなもの飲んでいいぞ!」と言われるままジュースを飲んだ次の瞬間、
「俺のおごりのジュースを飲んだんだからハンドボール決定な!」
と言われるままにハンドボール部に入った経緯があった。

今思えば、なんて浅はかな理由で部活を選んだのかと思うが、
ハンドボール部は面白い友人も多く、充実した高校3年間が過ごせたのは
ハンドボール部に所属していたからに他ならない!

しかしハンドボ−ルは当時から「日陰のスポーツ」だった。
当時の顧問の永井先生は優秀な指導者で、前任の高校では
インターハイに行くまで、短期間で実力をアップさせていた。

私達もインターハイが狙えるようなポジションにまで上り詰めたが
岡山県ナンバー1には最後までなれなかった。

指導者で結果が大きく変わることを私は高校生なりに凄いと思っていた。

私達、歯科医院での指導者は院長であろう!

優秀な指導が出来る院長の歯科医院はスタッフが優れた仕事をする。
院長がスタッフに優秀な指導が出来ないと
いくら潜在能力が優秀なスタッフでも伸びない!!

永井先生の指導は本当に鬼のように厳しかった。
しかし試合が終わると本当に無茶苦茶暖かい人情味溢れる先生だった。

厳しさと優しさを使い分けることができる歯科医院の院長が求められている。

投稿者 nakano : 2008年01月29日 21:29

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