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2009年03月15日
岡山大学「いちょう並木」
金曜日の夜、1月4日に開催された
大安寺高校16期生同窓会の反省会があり、
雨の中、いそいそと私も出かけた。
反省会とは実は名ばかりで、当日参加していなかった
同期の友人も多く集まり、単なる昔の仲間が集まった
飲み会となった。
飲み会は、夜中の3時前まで続いた。
高校の同級生なので、誰もが年は46歳のはず!
決して若くない年齢なのに、なぜこんなに元気なんだ?
高校を卒業して、28年ぶりに話をする友人の姿もあった。
銀行の支店長になった友人、
離婚調停中の友人、
特許を取り、今から世界を変えると豪語している友人、
多くの友人と話して感じたのは、人には皆それぞれの人生があるのだが
人生って楽しいことより、辛いことの方が圧倒的に多いってこと!
深夜まで、楽しいこと、辛いことの話は延々と続いた。
今日の昼休みに、私はある取材を受けた。
その取材とは、岡山大学が発行している広報誌「いちょう並木」の取材だ。
岡山大学のOB40歳代代表として、私に取材のオファーが来た。
同窓会の仕事をしていて、全体の岡山大学同窓会の理事もさせてもらっているので
この広報誌「いちょう並木」は私の元に届けられているので、
いつも欠かさず読ませてもらっているのだが、取材を受けるとは感無量である。
取材を前に2枚のFAXを受け取っていた。
それには、取材当日のインタビューの内容が書かれていた。
まずは、岡山大学についての質問
入学動機や在学中の思いで、在学中に一番力を入れて取り組んだことなど。
私は自分の歯に対するコンプレックスと、祖母の入れ歯に関する苦労を
身近で見ていた関係で、歯医者への道、歯学部への道を選んだ。
私が高校生の時に、地元の岡山大学に歯学部が新設された。
そのニュースを聞いた私は、
「これは、何かの縁だ!
天は私に、岡山大学歯学部に入れと言っている!」
何ていつもの様に、勝手な思い込みで、歯学部への道を迷うことなく目指した。
そして、晴れて岡山大学歯学部の2期生として入学した。
在学中、一番一生懸命取り組んだことは、クラブ活動だろう!
岡山大学歯学部は新設の学部のために、私が入学したときは、クラブがまだ無かった。
先輩1名と友人6の計7名で、岡山大学歯学部サッカー部を私たちは立ち上げた。
歯学部サッカー部で、私が一番頑張ったのは、サッカーの試合ではなかった。
私が1年間で1番頑張ったのは、11月の頭に開催される
学園祭「鹿田祭」での、【おかまバー】だ!
サッカー部の部員が全員女装して、ショータイムの時間まで決めて
音楽を掛けて、おかまバーのような、ショーを見せていた。
そんな私たちなので、歯科衛生士学校の謝恩会で、羞恥心を歌ったり
医院の忘年会で「矢島美容室」を踊ることに、私は全く抵抗がない。
夢は何ですか?と聞かれた。
私の夢?
「私の夢は、岡山大学の鹿田キャンパスに、大きな体育館を作ることです!」
と私はとっさに答えた。
昔も今も変わらず、鹿田キャンパスは狭い敷地内に、医学部、歯学部、看護師学校等の
多くの学生さんが活動しているので、例えば歯学部バスケットボール部は
週のうち、数回しか体育館での練習が出来ないのだ。
3階建ての体育館を作って、1階を医学部、2階を歯学部、3階を看護師学校等で
使えば、もっと楽しい学生生活が送れるはず!
ベネッセの福武さんが、東大のキャンパスの中に、講堂を寄付するように
私も60歳になると、岡山大学医学部歯学部のキャンパスの中に、体育館を寄付したい!
そんな夢みたいなことを話した。
(一笑に付されるかもしれないが、夢と聞かれたのでいいだろう)
岡山大学の広報の担当の方は、まっずぐな目をされていた。
私の話を、その目で、どこまでもまっすぐ聞いてくれた。
私は仕事がら、多くの人と話すことが多いので、その人が
どんな人かは、少し話すだけで、ある程度つかむ自信はある。
この人は凄くまっすぐな人だ!こんな人がいるなんて、
これからの岡山大学の活躍が本当に楽しみになってきた。
投稿者 nakano : 2009年03月15日 01:01